愛を求めて

どうも、こんばんは〜

 

尚平です。

 

少し居眠りしてたら、緊急地震速報が。

 

ギュイーンギュイーンとスマホが鳴っていました。クローゼットも揺れていて少し驚いた後、地震だ!!となって急いでリビングに降りたら、テレビで埼玉県南部で震度5強の地震と報じられていました。

 

少々騒ぎ過ぎな気もしましたが、都心で震度5以上の地震ってだけでも、相当危険なことなのでしょうね。僕はなんとなく周りの人たちが無事で居ますようにと願いました。

 

今日は、振り返ると疲労度が半端ない日だったなと思います。実習生が事業所に来て学んでいたのですが、態度がやたら偉そうで生意気で。あまり可愛げのない年下だったので、内心イライラを抑えてました。頭は悪くなさそうでしたが、あんなに偉そうな実習生を相手にしたのは初めてだったので、少々度肝を抜かれましたね。

 

とまあ、愚痴はこの辺で。

 

最近、愛ってなんだろう?と考える事が多いです。人から与えられる優しさや思いやりを愛と捉えるのが良いのか、自分なりに悩んで考えて生み出した感情を見せつけたり与えてあげる事を愛というのか....。

 

愛されている、愛されていないって個人的な主観でしかないけど、そういう人って恐らく本人が一番痛いってほどわかってると思います。自分が愛されているか?いないのか?どんなに鈍い人でも、無意識の領域ではわかっていると思います。

 

理解された、優しくされたから愛されている、そう考えるのはあくまで一般的な愛のカタチのような気がします。所謂初歩中の初歩と言うか、基本的な思いやりと言うか。

 

この基本的な思いやりや愛のカタチを、無意識に自然と出来てしまう人に僕は憧れを感じます。凄いな、よく他人にそんな優しく出来るなって。やっぱり、思いやりのある人、理解力のある人は尊重されるべきだし、実際にそういう人が恩恵を受ける世の中になっていると僕は思います。

 

心を開いて、誰かを愛してみたい。そういう願望は昔からありました。でも、なかなかそういった感情表現の場は設けられず、独善的で怠惰な愛しか持てませんでした。過去の僕は本当に未熟だったと思います。自虐的で冷たい、思いやりのない人間でした。

 

でも、やはり、愛を求めて生きるのならば、本当の愛を心の奥深くに持つべきだと思います。人を愛する喜びって、きっと人と関わることでしか見つけられないし、人間関係の充実でしか真の幸福は手に入らないと思います。それがどんなに狭いコミュニティーだろうが大差はないです。悪名高い人物よりも、名声に溢れる誇り高い人物の方が世渡りは上手いと思います。こうした生き残る知恵は愛とは関係ないかもしれませんが、愛を貫くためにはこういう理屈も大事だと思います。

 

何が愛で、何が愛じゃないか?きっと自問自答する事で少しずつ見えてくるもののような気がします。愛は比べない、競わない、過剰にならないものだと僕は今までの人生で結論づけました。まだまだ26年しか生きてないけど、やはり資本主義社会では、人と比べ裕福な暮らし、余裕のある生活、優秀な遺伝子を遺すだとか何かと人と比べる事ばかりに目がいきがちだし、劣等感を排除するために競いあうことが正しいかのような風潮があるように思います。僕は、社会の仕組みはあまりよくわかりませんが、感情的な話になってすみませんが、僕は資本主義が心の底から嫌いです。

 

誰かと比べる事に意味はない。個人的な自己満足でしかなく、時には争いの火種になる極めて有害な思考だと僕は思う。こんなんじゃ、愛を育てるとか与え合うとか、出来っこない。傷つけ合ったり、憎み合ったり、人は悲しみの末路を辿るだけです。僕は認めたくはありません。

 

比べるのが何故マズいのかと言うと、やはり、差別や貧困が生まれる原因になるからです。競争意識が高い人なら、誰かと比べて、勝つ事で今の不幸から脱却したり愛を得ようと努力すると思います。ですが、競争意識があまり高くない人は誰かと比べられたり競わされる事に強い不快感が伴い、抵抗します。それでも、誰かと比べて勝ちたがる人は後を絶ちません。平和主義な人にとっては、資本主義社会は地獄です。差別や貧困も、根っこの部分は潜在的な競争意識が隠れていると思います。他者より優れている人物だと思われたい、異性から認めてもらいたい、そういった欲望がこの問題には隠れているような気がするのです。だったら、その欲望を満たしてあげればいい。ですが、そんな愛に飢えた獣みたいな人たちを満たしてあげるのは、容易ではありません。

 

僕は正直、愛に飢えてる人間ほど怖いものはないと思います。何するかわかんないですもん笑 いや、笑い事じゃないけど。

 

長くなりましたが、結論から言うと、愛を手に入れるのは、容易ではないです。ですが、それを追い求める魅力が愛にはあります。どんなもの、感情を愛と言うのか?それは人それぞれだと思います。大事なのは、愛を受け取る度量と覚悟、人を愛する思いやりだと僕は思います。経験から気付きを得て、導き出されるものが愛なら、人は失敗を恐れてる場合ではありません。頑張りましょう。僕も自分なりに常に自問自答して頑張っています。きっと誰もが幸福になれる権利を持っている。時に人間は傲慢にその権利を奪うこともあるけど、それでも人間を愛して生きていかなくちゃいけません。僕はそう信じています。きっと何処かに答えはあります。

 

それでは、今日はこの辺でお開きにしましょう。

 

ではでは、さいなら〜