不器用ながら生きる、守る、愛する

どうも、こんばんは〜

 

尚平です

 

最近の俺は、踏んだり蹴ったりです。具体的な内容はプライバシーに関わるので記述出来ませんが、要するに嫌なことが続いている状態と言っていいと思います。

 

悲しいことは、本当に尽きません。思い通りにいかず、自分も変えられずにこの苦しみの渦の中をひたすら彷徨っています。

 

なぜ人は争いあうのでしょう?戦わず手を取り合うというのは、そこまで難しいことなのでしょうか?僕にはよくわかりません。

 

些細な誰かの何気ない一言に深く傷ついてしまったり、それゆえその傷つけてきた人を憎んで許せなかったりします。僕は自分で言うのも難ですが、結構繊細な人間だと思います。気分の波も激しく、些細なことで傷ついて、苛立って、喜怒哀楽が激しく落ち込む事も多いです。

 

僕の家族は基本的に社交上手とは言えず、僕も例外ではありません。理由は様々ですが、人とコミュニケーションを取るのが億劫で避けてしまう事がよくありました。大人になった今でも、人とコミュニケーションを取ることは苦手です。上手く自分の考えや気持ちを伝える事が出来ず、誰かに嫌われたり軽んじられたりします。元々僕らの人格に何らかの問題があるという仮説も否定は出来ませんが、やはりいじめられたり敵を作ってしまいがちな傾向が僕や家族にはあると思います。

 

その度に、もっと強くなりたい。誰かをまるごと愛して守れるくらいの器のデカさや要領の良さを持ちたいと考えています。

 

世の中平和ではありません。極論から言ってしまえば、いつ、どこで、誰に後ろからナイフで刺されるかわかったもんじゃありません。僕は家にいる時はリラックスムードですが、外に出ると、常に最悪の事態を想定してしまいます。僕の予想は外れる事が多いのですが、それでも警戒してないと、考えていないと不安です。正しい、間違いはこの際どうでもよくて、いかにどれだけ家族や周りの愛する人を、守り抜けるか?愛し抜けるか?にかかっていると思います。単純に言えば、好きで愛しくて失い難い大切な人を守り続け、そばにいられたなら、きっと幸せでしょう。僕はその単純な幸せが恋しいのです。

 

今は大切なものって何だろう?と考えても、人や物を適当に答えるかもしれないけど、その大切なものを命を懸けて守り通す事が、僕の誇りや生きがいになっている部分もあると思います。

 

今は弱虫いくじなしのダメ人間な僕ですが、これから先の人生を前向きに力強く生きていくためには、ある程度重い責任や重圧をくらう覚悟が必要だと考えています。何事も深刻に考えてしまう僕の悪い癖も、いずれかは治していきたいです。

 

皆さんも大事なものを手放さないために、頑張っていきましょう。僕も力任せではなく、頭も使って上手に生き延びたいと思います。その延長で愛すべき人たちと巡り会って、その絆を守るために全力を尽くせる未来を創造していきたいです。

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DaiCEのCITRUSという曲が今回のテーマに合っていると思ったので、投稿します。

 

それでは、今日もこの辺で。

 

さいなら〜

完璧主義の代償

どうも、皆さんこんばんは!

 

尚平です。

 

今日は完璧主義の事について話せたらなと思います。

 

皆さんにも経験あるかもしれませんが、何かと問題が起きると事の白黒をつけたがったり、誰かを敵味方と選別したりしたことはありませんか?

 

僕もよくあります。

 

これはこうに決まっている!という思い込みから、何かを決断する時にいい加減な妥協が出来なかったりします。人を敵味方に分けたがるのも、自分のパーソナルスペースが広すぎて警戒心が強いのも原因かもしれません。

 

人間関係や仕事。どちらも大切ですが、どっちも完璧に遂行しようとすると、必ずボロが出ます。

 

人間関係にも仕事にも前向きに取り組もうと考えていても、いざ両方を器用にこなすなんてことは出来ません。トラブルもありますし、何より仕事に支障が来たします。

 

とても情けなく惨めな思いをしてしまうこともあります。

 

僕はこの思考のせいで、何度も生きてるのが辛いと考えました。自分が馬鹿だから、自分が弱いから、と人生が上手く行かない原因を全て自分にあると思い込み、深い悲しみと絶望を味わいました。生きた心地がしなくて、一時期は毎日のように「死にたい」と思っていました。きっと僕みたいな過ちを犯している人は大勢いるでしょうね。

 

そんな不器用な人に観て頂きたい動画があります。

 

それは「完璧主義、人間関係リセット癖をなおす方法」と言う動画です。

 

僕は子供の頃は0か100的な思考回路だったので、何かと勉強も完璧にこなし、スポーツも抜かりなくやり、クラスメイトとの関係も穏便に済ませたくて必死でした。でも、そんな強がりで窮屈な暮らしは長くは続きませんでした。

 

親に泣きながら学校に行きたくないと駄々をこねて、小6には不登校、中学も不登校、高校は行ったはいいものの途中で中退。不完全な人生でした。

 

今も崖っぷちです。確かなことなんてありません。正直、何を信じてこの先の人生を生きていけばいいのかさえ分かりません。

 

それでも、愛してくれている家族のために、なんとか生き抜いてみせたい。

 

その信念にすがりついています。

 

この動画を観たあなたが、少しでも孤独を癒やし、一人ではない!と思ってくれたら嬉しいです。僕もこの動画を観て、もう少しいい加減でもいいかもなと思いました。

 

深刻に悩みすぎずに生きていきたいですね。

 

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僕はこの動画だけでは悩みは解決出来ないと考えています。やはり、生きていく意志を強く持ち、目の前の問題から目を背けない事が大事だと思います。

 

こんな生き抜くい世の中ですが、共に苦しみや悲しみを分かち合い半分にして、喜びを沢山受け止めて生きていきましょう。

 

あなたにはあなただけしか出来ない何かがきっとある。それは、きっと心の奥底に眠っている希望。逃げないことで掴める夢があるなら、魂を熱く燃やして生きていこう!

 

そろそろお開きにします。

 

最後に、昨日僕の敬愛するロックバンドBUMP OF CHICKENYou Tubeでスタジオライブをしていました。数ある名曲を世に送り出してきたBUMPの曲の中で、学生時代に凄く衝撃を受けた曲があります。この曲を聴くと、自分の醜い部分や汚い欲望も見方を変えれば生きるために必要なことで、何かが確実に間違っているとは相対的に決めつけられないのではないか?と思います。とても考えさせられる歌詞であり、何より当時自分の自己中心的で偽善的な行動を嫌悪していた僕にとっては、ひとりじゃないよと言われているみたいで救われた曲でもあります。優しさの形はきっと1つじゃない。その可能性をBUMPが見せてくれたお気に入りの一曲です。良かったら聴いてみてください。

 

ではでは、今日もこの辺で

 

さいなら〜

 

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孤独を愛する男

どうも、こんにちは〜

 

尚平です。

 

今日も秋晴れで清々しい陽気です。なんてことでしょう?太陽の光が眩しいです。

 

僕は今日は、コロナ禍で久しく会っていない友達と食事をしに出かけてきました。久しぶりに他愛もない会話をして楽しかったのですが...

 

ですが...とついてしまうのには理由があります。元々友達と遊んでいる時からそうなのですが、統合失調症(持病の精神疾患)の陽性症状である幻聴が酷く、そればかりに気を囚われ途中から会話がしにくくなってしまったのです。

 

本当に残念なことです。もう半年以上も会っていない友達と久しぶりに会えたこと。それは僕にとっては特別な事であり、大切にしたい時間です。それなのに、病魔はまたしても僕らに猛威を振るいます。

 

友達の地元にあるマクドナルドで昼食を食べながら話していた時の事です。メニューから食べる商品を選んでレジで注文し、会計を済ませ番号が記載されたレシートを貰いました。しばらくすると、店員に番号を呼ばれ、先に呼ばれて移動していた友達の後を追って席に着きました。その時は全く警戒をしていなかったのですが、よくあることかもしれませんが隣の客の話し声がうるさかったのです。

 

統合失調症の陽性症状である幻聴の症状の1つとして、被害関係念慮などがあります。僕の周りで話をしている人たちが居たとします。その人達とは面識がありません。当然僕のことなんて知るよしもありません。ですが、この病気だと、その常識が一切通用しないのです。どうしても、周りの誰かが笑っていると「また自分が笑われている!」「また話のネタにされている!」と捉えてしまうのです。理屈ではありえない事だとわかってます。ストーカーでもあるまいし、僕の噂話をしていて楽しいとも思えませんし、何より本人の前で悪口を言うなんて常識から逸脱しています。とてもまともな人間がすることとは思えません。

 

しかし、この病気は、脳がそう勝手に判断してしまい、どんなにありえない妄想だとしても真実だと思いこんでしまうのです。

 

僕はこの病気のせいで、大変苦労をしてきました。長くなるので割愛しますが、今日の昼にも似たような事が起こってしまったのです。

 

隣の男と女2人がべちゃくちゃうるさく喋っていて、それが幻聴じゃなくても鬱陶しいのにマシンガントークで全然止まらないんです。そのトークに気を囚われて本題である友達との世間話があまりスムーズに進みませんでした。ハッキリ言って悔しいです。病気の症状である可能性が高い以上、無闇に事を荒げることはできません。何より、友達を不快にさせたくなかった。その一心で黙って耐えてました。でも、その忍耐も見透かされていたのでしょう。友達も30分くらいで「行きますか」と一言良い、僕らはマクドナルドを後にしました。

 

こういう事がこの統合失調症と言う精神疾患では頻繁に起こります。その度に、人間なんて嫌いだ!うんざりだ!と思います。誰からも愛されず、愛されてると信じることも難しい病気だから、大変です。

 

こういう事があると、やっぱり一人でいる時が一番落ち着くなあと考えたりもしてしまいます。人間関係を全てリセットして、無人島で一人優雅に暮らしてみたい。そんなことさえ、考えてしまうのです。まあ、もちろん、そんな単純な話じゃないってことは分かってます。過去は変えられないです。でも、僕の名誉とか愛とか自分らしさとか守れたら、どんなに素敵かな?と無意識に考えてしまうのです。

 

孤独を愛する。孤立でも疎外でもなく、心がひとりぼっちでも苦だとは思わず愛し抜けたら、きっと今ある不幸も乗り越えられるでしょう。

 

僕は学生の頃は集団から孤立していました。特に嫌われてたとかいじめられてたとかではなかったのですが、ただ単に一人でいる事が好きだったのです。誰かと一緒に居ても疲れるだけだし、気を遣ったり気を遣わせたりする事を煩わしく思っていました。そんな時でも辛くなかったのは、僕には家族が居たからです。家族とだけ繋がっていればいい、例え孤独になったとしても生きていける。そう考えていたのです。

 

しかし、大人になってから価値観は変化していきました。誰かと話していないと繋がっている気がしない。誰かと繋がっていないと自分に価値はない、と自信を失くしていたからです。無理もありません。統合失調症の陽性症状である幻聴や被害妄想で散々罵詈雑言浴びせられてきて、屈辱的で酷い仕打ちも受けてきました。傷ついて夜中一人で枕を涙で濡らす事もよくありました。正直、悔しかったです。

 

でも、そんな時でも孤独を愛さなくてはいけません。人間は誰しも皆孤独です。生まれてきた時から、死ぬまでずっと心は孤独のままです。しかし、だからこそ、自分の内面に潜む孤独と向き合い、上手に付き合っていくことで、人は己の中にある愛を知るのではないか?とも思うのです。

 

「愛とはなにか?」と問われても、僕にはよくわかりません。「幸せとはなにか?」と問われたら、愛している人から愛されているとき、と答えられるはずなのに。何故愛とは何か誰もわからないのでしょうか?きっと、運命が謎である事と同じように、きっと得たいの知れない見えない感情、現象を人は信じにくいのかもしれません。宗教に偏見を持つ人がいるのもその影響でしょうね。偶然、必然など環境的な要因で生み出さられる愛があるなら、きっとそれは真実の愛ではない。僕はそう思います。

 

愛を語るには知らない事が多すぎますので、これ以上の記述は止めておきます。

 

きっと孤独を愛していると言う人は、孤独である自分を認めてる、と言うことなのでしょう。孤独な人生を歩む事を覚悟し、信じ抜いている。だから、孤独を愛している人は強い人が多いのかもしれません。

 

僕の場合、孤独しか選べる道はなかった。ただそれだけの事かもしれないです。今も集団の中にいても、どんなに歩み寄っても、自分は孤独であると言う考えから抜け出せません。本当は孤独にはなりたくなかった、その未練があるから、うじうじと悩んでばかりなのかもしれないです。僕はまだ「孤独を愛する」と言う領域に達していません。まだまだ成長しないといけないですね。

 

長くなりました。今回は伝わりやすい文章を意識してみた結果、長くなりすぎました。すみません。ここまでこのブログ記事を読んでくださり、ありがとうございます。

 

また気が向いたら順次更新していくので、良かったらお付き合いのほど宜しくお願い致します。

 

ではでは、今日もこの辺で。

 

さいなら〜

 

 

変化と成長

こんにちは!

 

お久しぶりですね。尚平です。

 

最近の僕は訪問看護にも慣れてきて、少しずつですがゆとりのある生活を送れるようになってきています。

 

相変わらず、病気の症状は重く、苦しいことも沢山ありますが、なんとか日々乗り越えています。

 

秋も深まり、冷えてきました。

 

僕はこの少し肌寒いくらいの季節が好きです。身体は凍えるように冷たい季節だと、暑苦しいお祭りとかもやらないですからね笑 この世界が静まり返るような感じがたまらなく好きです。心穏やかに過ごせます。

 

病気になってから(診断で病名が決まってから)今年で6年目になります。来年には7年目に突入します。統合失調症は100人に1人なると言われている病気です。早い人だと高校生くらいの頃から発症する人もいます。僕は、恐らくその高校生頃に発症したと思われます。病気の症状が出始めていたからです。

 

今まで紆余曲折ありながら、なんとか生きてきました。今通っているB型事業所でリモート実習という仕事があります。将来看護師を目指している学生さんとパソコンで面談して、勉強のお手伝いをしてあげると言う仕事です。

 

具体的に何をやっているかと言うと、学生さんが質問してきた内容に正直に答えると言う仕事です。自己紹介や趣味、病歴や事業所での生活、将来の夢や目標などを話しています。

 

僕は病歴がそこそこ長いのと、統合失調症について本を読んだり同じ病気の人の話を聞いたりネットで調べたりしてるので、基本的な病状は把握しているつもりです。

 

このリモート実習は、年に数十回あり、色々な学生さんと話をしてきました。大体答える内容は同じなのですが、時々話す内容を変えたり工夫はしています。なるべく学生さんが自分の病気を理解しやすいように話しています。そういう細かな気遣いや話すことでエネルギーを消費するので、たまに面倒くさい時もあります。ですが、やはり勉強熱心な学生さんが多いので、話し終わった時には感謝をされることもあるので、それが嬉しくて止められないと言う部分もあります。

 

事業所での生活は苦しいこともあります。順風満帆にはいかないのが人生です。悩みも尽きません。ですが、こうした外からの刺激で自分が成長したと実感することもあるのです。

 

僕は発達障害もあってか、昔から人とコミュニケーションを取るのが苦手で自分の気持を上手に伝えられない子供でした。人から嫌われたり、嫌われる事で傷つくのが怖くていつも顔色を伺っています。それは今も同じです。

 

でも、事業所に来て、半強制的に作業などでコミュニケーションを取るようになってからは、よくしゃべるようになりました。自分でもびっくりしています。

 

僕が家族以外の人と親しく話すなんて、学生時代の頃の僕が僕を見たら、驚くでしょう。

 

こうやって些細なきっかけがあれば、人は変われる。成長できるんだなあと実感します。

 

まだまだ至らない部分はあるでしょう。心を守るために人を傷つけてしまう時もあります。その度に自分の未熟さを憎むこともあります。

 

ですが、沢山傷つけて傷ついて生きてきた僕らは、きっと誰よりも人の心の痛みを理解しています。想像だけじゃ辿り着けない未来でも、きっと僕らならやれる!そう希望を見出していきたいです。

 

長くなりました。

 

皆さんも人付き合いや迫りくる未来に怯えないで、ありのままを意識して行動してみてください。僕でもやれば出来たんです。あなたなら、もっと強くなれます。

 

強くなれなくても、諦めないでください!前を向いて共にゆきましょう。

 

この言葉をここに置いていきます。

 

大事に育ててください。

 

最後に、僕が毎朝見ているNHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」の主題歌アルデバランがとても感動的で心を動かされる名曲だと思ったので、ここでシェアしておきます。良かったらぜひ聴いてみてください!

 

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大切な人を想って聴いてみてください。

 

では、それではこの辺でお開きにしましょう。

 

さいなら〜

愛ある季節

こんばんは!

 

なかなか自分の納得のいく人生が送れてません。ストレスが溜まってイライラしてばっかりです。もう、駄目だこりゃ。

 

尚平です。

 

心が悲鳴をあげています。誰か助けてと泣いています。冷たい風吹くこの季節、愛などあるのでしょうか?

 

僕は病気になってから、全くの抜け殻になってしまいました。毎日時が止まったかのようで、張りのない、生きてるのか死んでるのかわからない生活です。誰かの差し出す手を、丁寧に断り続けてきました。その結果がこのザマです。

 

暴れる心を誰にも見せられない。

 

叫び出したい衝動が、僕の胸を締め付けます。

 

普段から自分に対する制約が多すぎて、自縄自縛に陥っています。

 

自分の価値とは一体なんなんでしょうか?わからなくて、ただただ未来が怖いです。

 

まだ起きてもいない未来をあれこれ憂いたり、今が大事だと開き直って自堕落に生きたり。過去は大切な思い出だ!と考え、あれこれ引き出しを引っ張って思い起こしたりしてます。

 

確かに僕の考えはとても成熟した人間の考えとは言えません。争いごとが怖くて、本音を誰にもぶつけられず、悶々と日々を過ごしています。

 

でも、幸せを感じる瞬間がない訳ではありません。趣味や楽しみで時間を浪費している時が一番楽しいです。そこに迷いがなければ、尚更楽しいです。

 

人間の一生なんてどうなるかわからないけど、きっと神様は人類に宿題を与えているのでしょう。この先、世界がどう変わって、どう動いて、どこへ向かうのか。それは、きっと誰にも分かりません。わからないからこそ、想像していくのです。子どもたちが嫌味も卑屈さもない笑顔で迷いなく躊躇いなく生きていける道を作ってあげるのが、我々大人たちの役割だと思います。ある程度の年齢になったら、子供も大人になり、自分の力で生きていきます。最低限、その大人になるまで育て上げる。それが、親の使命であり責務です。

 

僕は何も知らないまま、わからないまま大人になりました。

 

今もわからない事ばかりです。

 

ですが、この不安定で移ろいやすいグラグラした桟橋を渡り続けるかのような毎日も、発狂寸前で気が狂いそうになる弱い心も、僕の個性です。大事にしていきたいと考えています。

 

愛ある季節、それが今

 

寒くて凍えそうな冬も、春になればまた温かな日だまりが差します。

 

痛む心も、この空に透かしてみましょう。

 

自分という小さな生き物に何が出来るか、考える時間があればいい。

 

結果ばかり気にして足踏みしてたら、どんどん周りとの距離は離れていきます。そこで立ち止まらないで、高みへと上り詰めましょう。

 

あなたなら出来る、きっと出来る。

 

今日もここら辺でお開きにしましょう。

 

それでは、さいなら〜

希望の歌と人生と

こんばんは、もう冬ですね

 

寒くて寒くて凍えそうです

 

これでもまだ20度前後ですから、本格的に冬になったらどうなってしまうのだろうか...?と不安になりますね

 

尚平です

 

最近は、Mr.ChildrenのDISCOVERYと言うアルバムを昔中古で買ったのを思い出して、取り出してひたすら聴いています。作詞作曲ボーカルの桜井さんが、20世紀ギリギリの頃に活動休止をしていて、精神的にギリギリの時に書かれた詩や曲たちが、生生しく表現されていて、とても人間味が深いです。僕は音楽を聴くときは、ボーカロイドとか機械音に特化された物ではなく、生身の人間たちが紡ぎ出した音の中に、生きた人間の歌声がプラスされている、感情的で魂に訴えかけるような歌を好んで聴いています。ですので、偏見かもしれませんが、ボーカロイドよりはロックな曲のほうが好きです。

 

Mr.Childrenと言えば、ヒット曲を沢山出している事で有名なロックバンドです。とてもポップで彩り豊かな曲もあれば、ロックで力強いサウンドの中に熱い魂の込もった桜井さんのボーカルがあったりして、とても心を突き動かされます。

 

僕はその中でも、「声」という曲が好きです。もう12年ほど前に発売されたアルバムの一曲なのですが、僕はこの曲に人を思いやることの大切さを教わりました。僕は誰かを思いやるとか、相手の立場に立って物事を考えるとかが苦手でした。でも、この曲を聴いてからは、「そうだ、僕を必要としてくれる、僕の声を待っていてくれる人はきっといる」と思えるようになりました。昔は家族と世間話をするにしても、自己主張しても無視されたり相手にされない寂しい家庭でしたので、こういう事を言ってくれる歌手がいてくれると、まだまだ頑張れる、希望が持てると思えます。

 

皆さんにも聴いて欲しいので、You Tubeの動画のリンクを貼っておきます。ぜひ、聴いてみてください。

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桜井さん、めっちゃええ人や。。。

 

まあ、そんなこんなで僕はこれを聴いていた中学生の頃から、少しだけ成長して、今は27のアラサーです。早いもんですね、時の流れ恐るべし。

 

僕は決して明るい青春時代を過ごしている訳ではなかったですが、これからは毎日奇跡の連続のような素晴らしい毎日を送っていくと覚悟を決めています。

 

なんだかんだで、今が最高にクレイジーでハッピーです。

 

家族とも日々心の距離が近くなっていっているような気がします。気のせいでも構いません。僕はこの毎日が誇らしいです。

 

散々愚痴って迷って悩んで考えてきたけど、やはり、生きてるって、人生って良いもんですね。

 

最近は、特にそう思います。誰かの優しさや愛情を感じれる、受け止められる器のデカい男になりたいと考えています。

 

受け取るだけではなく、与えられる人間になってみたい。

 

その証明の為に、こうしてブログを綴っています。これが無駄かそうじゃないかは、読んでくれるあなたの判断次第です。そこに介入したり、操作なんて出来ません。僕はこれがいい、それでいいと思います。

 

まだ他人の厳しさや冷たさに慣れない部分もありますが、大人になるためには避けられない道だと覚悟しています。何度傷ついたって、後退はしません。覚悟をする、そして、越える。ただそれだけです。

 

長くなりました。面白い話は出来ませんが、少しでも僕の感じていることや考えていることを共有することによって、あなたの人生がプラスの作用を持って働くことを願っています。

 

ではでは、ここら辺でお開きにしましょう。

 

皆さんも寒さ対策万全にしていてくださいね!

 

それでは、さいなら〜

光と影

こんばんは

 

尚平です

 

最近、読書を積極的にしてるのですが、やはり病気の症状が酷く、あまり集中して本を読めません。30分が限界です。読み始める時から、ストレスでイライラして何度も同じ行を読んで理解しようと頑張っていました。そしたら、だんだん慣れてきて10ページくらい読んだらさほどイライラも軽減され、スムーズに読めるようになってました。

 

やはり、コンプレックスって厄介ですね。自分の知能レベルに自信がなく、劣等感が強いと、何をするにしても億劫になります。幻聴による被害妄想で笑われる妄想があるのですが、僕は芸人でもないし真面目に生きてるだけなのに何で笑われなければいけないのか理解出来ません。笑われてる気がするだけで、証拠はないのですが、やはり病気の特性上それが現実で実際に起っている事のような気がしてしまうのです。やはり、幻聴は厄介です。

 

何をしてても誰かに見られている、笑われているという被害妄想が抜けず、毎日気の抜けない日々を送っています。芸能人でも逃亡中の犯罪者でもないのに何でこんなに周りの目を気にしなくてはいけないんだろう?と、常々疑問に思いますが、しょうがないです。病気だから。

 

困ったことに、この統合失調症による幻聴は、薬である程度抑えられるものの、完全に無くすことは出来ないらしいです。寛解出来るのかな、不安です。

 

相変わらず、僕は木偶の坊です。肥えた豚でしかない。

 

でも、そんな豚のような男でも、愛されたいし認めてほしいのです。最近じゃ、認められなくても生きていける!と強がっていますが、やはりひとりぼっちは辛い。このまま病気も治らず、本当の愛を知らぬまま強がりと寂しさを抱えて生き続けるのは辛いところがあります。僕もそんな人生望んでいません。でも、今の所選択肢は限られています。

 

ギャンブルみたいな毎日を送っています。どこに辿り着くのか、僕にもわかりません。でも、きっと過去を悔やんだり、未来を憂いたりするのは、きっと暇だからでしょう。今が一生懸命で、今しかない人にとっては、そんな事考えている余裕はありません。僕には過去も未来も大切な思い出や希望ですから、捨てることは出来ませんが、きっと暇だという事でもあるのでしょう。こんな愚痴と感想を述べるだけの駄文をパソコンで日記として入力しているのも、ぶっちゃけ暇だから、暇つぶし以外の何物でもないと思います。読んでいる人の貴重な時間を奪ってまで書き続ける意義のある文章なのか、いささか疑問ですが、活字を読む練習だとでも思って読んでみてください。なんか、すみません。

 

最近は自分と他人は何が違っていて、何が似ているのかを区別しています。違う部分は必ずある、それは赤の他人同士であれば尚更。ですが、当たり前ですが似ている部分も少なからずあるのです。同じような考え方の人、違う考え方の人、その中で自分と似ている人だと、何が好きで何が嫌いなんだろう?何を認めて何が許せないんだろう?とか考えてます。全く自分とは違う考え方の人も中にはいます。そのような人と付き合っていくには、何を妥協し何を認め何を受け入れ何を伝えれば分かりあえるのだろうか?と考えます。無理して違う価値観の人に合わせたり、自分の考えを主張して理解してもらおうと努力はしません。お互いに疲れるだけですから。それなら、一人でいることを選びます。僕とはつまりそういう人間です。

 

冷めた人間に見えるかもしれませんが、僕はただ自分が一番大事なだけです。自分が傷つきたくないからです。一人でいるのもそうです。自分が誰かと関わることで、争い合って傷つけ合ったり、恥をかいて苦しんだり、傷つけたことで悔やんで苦しんだりしたくないからです。それらは不都合な現実であり、僕のメンタルを大幅に消耗します。だから、エゴかもしれませんが、それは嫌なのです。誰とも分かりあえなくていいから一人でいたい、それが本音です。でも、誰かに自分の事を知っていて欲しい、気にかけて欲しいと言う思いも捨てきれないから、僕もある程度はコミュニケーションを取ります。ですが、それは上辺だけの付き合いと言わざるを得ません。怠惰で欲深い傲慢な人間です。卑怯で無様で愛される価値がないかもしれません。それでも、もう傷つきたくない。心にバリアを張って生きています。

 

傷つくのが怖いから、そんなんで生きていけるほど世の中甘くありません。毎日嫌なことが沢山あってうんざりします。仕事も面倒だし人間関係も面倒だし。

 

でもそんな毎日でも、ささやかな幸せがあります。

 

家族や友人との他愛もない会話、エロ画像・動画でシコること、訪問看護での悩み相談・世間話、事業所での世間話、美味しい食事、大好きな音楽を聴くこと等

 

そういった趣味や楽しみがあるから僕は生きていける。そこには感謝しなくてはいけないと思います。人間が嫌いでも、人間が集まって作られたこの世界で生きている以上、そこは認めなくてはな、とも思います。

 

ですので、何が言いたいかと言うと、僕は不完全でどうしようもない人間ですが、それでも周りの方々に支えられて、それ以上に自分の全身全霊で生きている。それは尊い事であり、感謝してもしきれない事だということです。こうやって僕の書いているくだらない記事を最後まで読んでくださるあなたの存在も、僕にとってかけがえのない財産なんです。感謝します、ありがとう。

 

長くなりました。本当に今回は言いたいことが多すぎて長くなりすぎた事を反省しています。

 

色々とすみません。次回はもっと読みやすくて為になる記事を書けるよう精進していきます。

 

それでは、ここら辺でお開きにしましょう。

 

ではでは、さいなら〜