性善説と性悪説の間
皆さん、こんにちは
悲しみにさようならしたい尚平です。
いやー、なかなか悲しみや憎しみなどの強いストレスを回避したり、解消出来ずにもがいてばかりの毎日ですね。
皆さんは、深い心の傷になってるトラウマはありますか?
僕も、トラウマと言うほどではないですが、軽く世の中に絶望することはよくあります。
世の中って複雑ですよね。いい人もいれば、悪い人もいる。その人間の善悪を勝手に自分で判断してしまう自分を、間違ってるかも?と疑うこともありますが、やはり、世の中にはいい人ばかりではなく、悪い人もいると考えた方が自然で現実的だと思います。
性善説を唱えるのは、考えることを止めた人にだけ唱えられる怠惰の証だと思います。
僕は昔は性善説を自分の考えとして持っていました。ですが、世の中理不尽な事が多すぎるし、何も悪いことをしなくても、人間の悪意や嫉妬で陥れられてしまうこともあります。軽々しく自己主張しては、人は罪を犯します。知識だけでも思慮分別だけでも足りないのが、正義だと僕は考えています。
まあ、あまり小難しい話は苦手だし、知ったかぶりしてもブーメランが返ってくるだけなので、ここまでにしときましょう。
ストレス対処って難しいですよね。自分の価値観や考えに自信を持ちすぎると、他人の意見を素直に聞けませんし、警戒心や猜疑心が強いと相手の考えを鵜呑みにすることに恐怖や危機感を覚えます。僕は間抜けなので、簡単に人を信じて騙されたり、逆に疑いすぎて人間関係にヒビが入ってしまうことがあります。皆さんは、上手く器用に生きていってください。
とにかく、相手の意見を尊重したり、他者と穏便に協調して平和に暮らしたいなら、余計な事は考えないことですね。僕も最近気づきましたが、平気なフリして結構誰かの言動や行動で傷ついている人は、周りに沢山います。人間の心なんて、案外脆いものなのかもしれません。そういった意味では、健常者も障害者も心の弱さや脆さでは差異はないのかもしれませんね。
とまあ、話は長くなりました。すみません。今、音楽を聞きながらこれをパソコンで入力してるので、話にまとまりがないかもしれません。ごめんなさいです。
Twitterの本アカウントのプロフィールにも書きましたが、病気でも明るく生きたいです。今は心が弱ってるので、何かと悲観的に考えてしまいがちだし、世の中的にもコロナ禍で予断を許さない状態は続いていると思います。今月から緊急事態宣言は解除され、夜の居酒屋等で酒の提供が再開されたりもしています。世の中は、少しずつですが、昔みたいに活気のある健康的な状態に回復していっているようにも思います。
僕には理解できない事も沢山ありますが、少しでも日本の国民や、日本人だけでなく、世界中の人達が笑って暮らせる日が訪れたらいいなと願っています。
先程の性善説なのですが、僕は昔から性善説を無意識ではありますが、持っていたように思います。日本人のお人好しさに救われてきた事が多いからかもしれません。今は病気の症状でそういった優しさを受け止められずに苦しむ事もありますが、根は基本的に人間は善なんじゃないかと。差別や偏見、暴力・暴言で渦巻くこんな物騒な世の中だけど、相当なサイコパスでもない限り、環境や周囲の人々に恵まれていて、支援をキチンと受けていれば、そこまで堕落したりクズになることも少ないと思うのです。
僕は、堕落したクズだという自己評価なので、何かとネガティブになりやすい傾向があります。ですが、周りの人々は、そこまでクズには見えません。上手に隠しているだけかもしれませんが。僕は心が綺麗な他人や夢に向かって努力している人間に密かに憧れを持っています。凄いなあ、尊敬できるなあと。
僕自身が綺麗な心を持った純粋な人間になりたいと心がけてる事もあってか、なかなか他人を憎んだり傷つけようと考えたりはしないです。ただのバカかもしれませんが、昔は本気でそう信じていました。
ですが、大人になるにつれ、その価値観も時代の複雑さや社会の厳しさに揉まれて、修正されつつあります。正直、綺麗事だけでは世の中渡っていけません。嘘も方便と言いますでしょう?僕はたまに嘘をつきます。自分にとって都合の悪い事実を隠したり、悲劇のヒーローとして情けをかけてもらう為に話を盛ったり。ここも僕の悪いところでもあります。1つの嘘が誰かの世界を変えてしまう事もある、それにもっと早く気づいていられたのなら、ここまで落ちぶれてはいなかったかもしれない。
とまあ、またしても長くなりましたが、結論から言うと、今の僕は性善説でも性悪説でもなく、あくまで中立の立場に立たせてもらってます。
この考えが正しいのか、正直分かりません。
ですが、自分の頭の中にしか、現時点で抱えている問題の解決策がないのなら、この考えも無駄じゃない!無駄にしたくない!と思っています。
皆さんも、社会の理不尽や内なる敵に負けないように、多少無理してでも、生きていってほしいです。それでは、今日のところはこの辺で。
さいなら〜